丹後徐福会会長
蓬莱庵 石倉 昭重


徐福伝説とは

 春秋戦国の時代を制覇した始皇帝はお気に入りの瑯台に登って眼下の黄海そしてはるか彼方東の海をみつめていました。
 そこに方士徐福が書を奉って云います。この有様を漢の大史令司馬遷はその著「史記」の中で次のように記しています。「海中に蓬莱・方丈・瀛洲という三神山があります。そこには仙人がいて不老長寿の薬があります。童男女を引きつれて海を渡りこれを求めてまいりましょう。

 以来漢書・後漢書・三国志などに登場していますが、1982年にその故郷が発見されるに及んで史実の人物となりました。その故郷とは江蘇省楡県金山郷徐福村です。

 一方我が国では20を越える伝承地がありますが、これらの伝承地は黒潮流れる岸部にあり、その上その時期は我が国の弥生時代の初期に当たるところから徐福の東渡はそのコース・時期から大陸からの文化の渡来と重なって注目を集めています。


丹後新井崎の徐福伝説

「口伝」

 人皇七代孝霊天皇の御代、始皇帝の命を受けた徐福が不老不死の仙薬を求めて、この地を易筮によって予知し登陸しました。求めた仙薬とは九節の菖蒲と黒茎の蓬であったといいます。登陸したのはハコ岩でした。
 徐福里人をよく導き、推されて邑長となり死後産土神として奉祀されました。この社は岬の名をとって新井崎神社といいます。

「文献」

 江戸時代の末、新大明神口碑記ができました。その内容は神社の祭神を童男女と記し、渡来人と原住村長との問答がつづきます。その中には咸陽宮の有様が語られ、その極めつけは神は仏の化身であると説く本地垂迹説にうつります。即ち祭神である童男女と素盞嗚命を登場させ、備後国風土記を援用し僻邪僻病を祈願しています。

 又その贅記には列子の湯問篇、蓬莱が述べられています。蓬莱とは徐福の目指した仙界であり九節の菖蒲は道教の基礎文献葛洪の抱朴子に記されている仙薬です。丹後新井崎は蓬莱の里でありました。


伊根町生まれ。「徐福」研究家
石倉 昭重

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